「マナ」

専門用語の簡潔な定義というのはなかなか難しい。どうしても、あちこち予防線を張っているような言葉づかいになってしまう。

「マナ」とは何か。

とりあえず、二つ、別々の言葉としてあり、ひとつは聖書に出てくる不思議な食べ物。お腹をすかせたイスラエルの民に、神が天から(?)降らせたという話になっている。

もうひとつは宗教学に登場する概念。メラネシア語で「力」という意味で、人間の理解を超えた神秘的な力の源泉といったことである。

このふたつめの方を簡潔に説明するにはどうしたらいいか。

と、考えて、いろいろ見ていた。一定の評価を得ている専門書で頭を軽く混乱させてから、wikipediaなど見てみると、何となくポイントが見えてくる。順序としてはこれがいいのだろう。wikipediaを最初に見るのはやはり危ない。

別に、ここで独自の定義を披露しようというわけではない。しかし、マナが道徳と宗教と呪術の境目を見るきっかけになるというヒントは書き留めておこう。「宗教と呪術」「宗教と道徳」……このあたりの区別の仕方というのはやはり、多少、突き詰めておいた方がいいように思う。

さて、マナは「力」なのだが、英訳するときには「power」ではなく、「force」になるのだそうだ。powerは一般的に広い意味での「力」で、forceは力の中でも強制力を伴うものを言う。軍事的な力のように人力では対抗できないような圧倒的な力はforceなのだそうだ(もちろんpowerでもある)。

しかし、まあ、「フォース」といえば、「スターウォーズ」だ。「マナ」と「フォース」を並べて見ると、映画では「マナ」そのものが表現されているような気になってくる。映画のエピソード1から3は、前宗教的な段階にあるはずのマナが「宗教・呪術・道徳」を展開させる社会の中に残っている……という話としてみると、なかなかおもしろいかもしれない(ああ、やっぱり映画の話になるのか?)。

聖書の「マナ」から、「食いっぱぐれないように」と娘さんに「まな」と名づけた先輩がいたが、「力」の「まな」もなかなかいい命名理由ではなかろうか。

「フォースがともにあらんことを」

とかいって。